一七〇〇時
『諸君、夕方の放送だ』
不二は、ただ見ているしか出来ない自分に苛立ちを覚えた。目の前で、跡部と忍足は戦っている。それを見ている自分。
『死亡、九番、越前くん、十八番切原くん。以上』
英二は生きている。でも、どこで?不二は疑問を覚えながら、伝ってくる雨水を手の甲で拭った。
『禁止エリア、F。以上』
ブツ、と放送が切れるのと同じ瞬間に、不二ははっとなった。ここは、Fエリアだ。
「…跡部…ッ!」
「お前先に出てろ!すぐ行く」
そんなこと言われても、行けるわけないじゃないか。そんな、ことを考えて、けれど不二は思い出す。相手を心配するばかりが、庇うことじゃないはずだ。
「…、」
地面を踏みしめて駆け出した不二。それを視界の端で捕らえて、跡部は思い切り力を込めて忍足の刀を弾いた。ほんの一瞬できる間。跡部は背を向けて走った。すぐそこだ、境界線は。
案の定後を追ってくる忍足の攻撃を流しながら、跡部はエリアの外へと出た。
と。
「…菊丸…?」
怪訝そうな跡部の声。忍足は嘘だと言わんばかりに振り返った。
けれど、たしかにそこに、よろよろと倒れそうになりながら歩いている姿。
「英二…っ!」
何で起き上がったんだとか、そんな、どうでもいいことが頭を過ぎる。それよりも、もっと、重大なことがあるのに。刀を放り出して、忍足は駆け出す。
「…忍足…?」
気付いた英二が、不意に笑ったような気がした。けれどそんなのが分かるくらい、忍足は落ち着いてはいなかった。必死に駆ける。英二はまだ分からないような顔をして、それから苦しそうに傷口を庇いながら忍足の方へと歩いてくる。痛みで走ることはできないようだった。
「あかん、英二、こっち来ィ!」
ピ、と電子音が聞こえた気がした。英二に手が届くか届かないかの、多分五センチにも満たない距離。
その瞬間だった。
―パァ…ン!
ぐちゃ、と。忍足の腕に飛び込んできたのは、英二じゃなく、肉の塊。
「…、」
忍足は呆然とその塊を見下ろして、不意に地面に膝を付いて崩れた。
エリアの、ライン上だ。
忍足の首輪は音も立てずに静かにしている。
目の前には、飛び散った脳漿が地面を汚して、雨はそれを洗い流すみたいに土砂降りで。
涙も出なかった。
あっけなさ過ぎる最期は、ただそれだけだった。
「…、」
忍足は、傍らに落ちていた刀をもう一度握ると、そのまま立ち上がる。背中の傷はもう気にならない。
ただ、目の前の現実だけが、忍足を動かした。
立ち上がると、不二が呆然と突っ立っているのが見えた。跡部はすぐに刀を構えたけれど、忍足の次の行動は予測が付かなかったらしい。剣術を少しでも齧った人間なら、予測はつかなかっただろう。
「…っ、ぐ…!」
跡部が払った刀を、そのまま、受け流すこともせずに、体で受けた。それから、力を振り絞ると、刀を薙がずに跡部に直接付きたてようと、忍足はそれを振り上げる。
ただ、忍足も、次のことに予測がつかなかっただけの話で。
「…不…」
跡部の言葉は、途中で途切れた。
刺されたからじゃない。不二が、倒れたから。
忍足と跡部の間に割り込んだ不二は、忍足の振り下ろした刀をそのまま受けて、そして倒れた。
雨は不二から溢れてくる血を流すように降り注ぐ。
ザァァァァァと、雨の音に混じって、不二のうめき声が聞こえた。苦痛に歪んだ顔。
赤い血は傷口から溢れて溢れて、地面をしっとりと覆っていく。
「…不二、ッ」
跡部は駆け寄りたい衝動に駆られたけれど、忍足はそれを許さなかった。けれど、不二を刺して転がった刀を拾ったけれど戦う余裕はなかった。跡部が振り下ろした刀をそのまま防ぐことなく受けて、忍足は目を閉じた。
意識を失う前に、だた、目の前に転がっていた、英二の腕を掴んだ。腕だけの固まりは酷く軽くて、忍足はそのまま意識を失った。
「…あ…」
跡部。
名前を呼びたいのに、声が出なかった。ごぼっ、と喉から溢れた血が、不二を抱き起こした跡部のシャツにべっとりと付く。そんなの気にしないで、跡部はただ不二の傷口を、押さえて唇を噛んだ。
「…っ、」
押さえても、止血なんてこの傷じゃあ出来るわけがない。そうわかっているのに、跡部はやめなかった。腹から、腸か何か分からないピンク色の肉片が飛び出していた。
泣きたくなった。嘘を吐いた。
どちらかが死んでも、二人して死ぬよりマシだ。そう、不二に言った自分。
でも。
「…マシなワケねェよな…全然…っ」
押さえた傷口からとめどなく溢れてくる血。不二はもう意識が朦朧としているようで、ただ、不意に跡部のシャツを握っていた手が、ずるりと地面に落ちた。
瞬間。
「…っ、ぐ、ァっ!」
背中に激痛が走った。痛いんだと分からないくらい痛かった。跡部は後ろを振り返ろうとしたけれど、振り返れなかった。ただ、自分の腹から、刀の先が生えているのが見えて。
意識が暗転した。
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