一六三九時


「…跡部、三十分経ったよ」

 そっと、耳元で囁くと、跡部はすぐに目蓋を上げた。
 きっと、眠りが浅すぎたんだろうけれど、もう眠る気はないらしくて跡部は毛布を畳むと小さく伸びをした。
「…他のメンバー、会わないね」
 テーブルの上に残っていた乾パンを広げて、不二はそれをつまみながら呟いた。
 齧るたびにがりがりと頭蓋骨に響くような歯ごたえ。

「でも、もうエリアも狭いし…時間の問題かもしんねェな」

 ガリ、と乾パンを齧って、跡部は立ち上がる。

 そっと窓の外を覗くと、まだ三時半過ぎのはずなのに、雨のせいで、そとはどんよりと暗闇に包まれていた。
 屋根を叩く雨粒の音がしんとした室内に響いている。
 水滴で見通しが悪くなった窓の外をじっと見つめて、跡部はまたイスに座った。誰も近寄ってくる気配がない。リミットは、明日。
 
「…跡部」

 囁くくらいの小さな呼びかけに顔を上げると、不二はイスの上で膝を抱えて顔を伏せていた。

「何」

「…エッチして」

「…」
 呟かれた小さな懇願に、跡部は何を馬鹿なことをと思う。今この瞬間、生きていること自体が不思議なのに。
 でも、心の隅ですぐに不二を抱きしめて眠ってしまいたい自分がいるのも、また事実だった。全てを投げ出して。何もなかったみたいに。
「…駄目ならキスだけでいい」
 顔を伏せたまま、不二は言う。
 どこか湿った言葉の端は、多分、涙。途方もない絶望感だけが、膝を抱えた腕の中にあった。
 きっと明日はもう、触れることが出来ないんだろう相手が、そこにいること。
 それは奇跡なのか悪夢なのか、絶望なのか。
 それを一言で表せるような言葉が見当たらなくて、不二は途方に暮れた。

 この気持ちを何て呼ぼう。

「…跡部、」

 名前を呼ぶだけで、喉の奥が痛くて切れそうだった。
 何でこんなことになったんだろう。
 こんな、こんなところで、死ぬために生まれたはずじゃなかったのに。
 こんなところで死に別れるために、出逢ったはずじゃなかったのに。
「、っ」
 不意に体を抱きしめられて、振り返ろうとしたらそのまま唇をふさがれた。柔らかい感触。触れたはずの安心感は、今は絶望の中の小さな小さな希望でしかなくて、その希望は明日途絶えると分かっているものだから、だから、それが本当に希望なんて呼べるものなのか、もう二人には分からなかった。

「…、っ、ぅ」
 顔を埋めた跡部のシャツから、雨の湿った匂いがした。
「不二、」
「…嫌だ」
 床に座り込んだ不二のシャツの下の肌を、跡部の指がそっと触れた。冷たい手。土ぼこりにまみれて、汚い自分。
「…嫌だ、いや…だ、っ」
 嗚咽が漏れた。
 嫌だった。

「死にたくない」





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