〇八五九時



 弟の亡骸を置いて、不二は集落を離れた。
 北へと根拠もなく移動する。地図を確認すると、向かう先はCブロックだ。当てはない、考えもない。
 ただとりあえず移動しようと思った。

 ただ、絶望と一緒に座り込んでいては、会えない気がした。
 跡部に、会えない気がした。




「…助けて、助けて助けて…っ」

 ふと、声がした。

 裏返って、取り乱して、自分でも助けを求めているのかなんだか分からなくなっているような口ぶり。
 聞き覚えがある。

 誰だろう、不二はすぐに右手にナイフを構える。

 と、鬱蒼とした森の中から姿を見せたのは、見覚えのある顔。忍足のダブルスの相方だ。向日岳人。
 跡部との関係のせいで、何度か会ったことがある。
 そして、弟が最後に口にした名前。
 向日。

 けれど彼は、何故か弟の身体を削いだ刃物らしいものは持っていなくて、代わりにその右腕からだらだらと血を流していた。
 動かせないのは痛みだけのせいではなく、折れているんだろう。
 ぐちゃぐちゃになった傷口は白い骨が覗いていた。
 
 咄嗟に不二はナイフを尻のポケットに突っ込むと、こちらへとよろよろ走ってくる彼の方へと駆け寄る。
「…どうしたの」
 血を流しすぎて、さっき見た弟のように彼もまた顔色が真っ白だった。
 血がなくなると、真っ青どころか白くなってしまうらしい。不二は自分の目の前に倒れ込んだ岳人を見下ろした。
 今にも死んでしまいそうな彼を目の前にしても。
 柔らかい感情は、どうしても浮かんでこなかった。

 ただ、見下ろしている自分に気付く。


 やられたときに武器を落としてきてしまったのだろうか。
 本当に丸腰だった。
「大丈夫?」
 上辺だけの心配をしてみせると、パニックになっているのか岳人はひたすら喋る。
「痛い、いたい…っ。血が止まらないんだ。いっぱい出て、痛くて、なあ、すんごく痛いんだ。助けて」
 喋り続けながら、縋るみたいに不二の方に手を伸ばしてきた。完全に取り乱している。
 らちが明かないと、不二はさっさと聞きたかった質問をしてしまう。
 肝心なこと。

「跡部、見なかった?」

 と、岳人の瞳がみるみる怯えの恐怖の色に変わっていくのが、不二にもわかった。
 きゅっと、そのビー玉みたいな両目が見開かれて恐怖が映る。
「…あ、跡部に」
「会ったの?」
 不二に縋る岳人の手が震えているのは、失血のせいか、それとも恐怖のせいか。

「跡部に殺される」

 跡部もゲームに乗ったのか。
 不二には分からない。
 ただ、解るのは彼が跡部の手がかりを知っているということだ。
「どこで見たの」
「や、やだ…、やだやだやだやだ、殺さないで」
「殺さないよ、だから跡部がどこに」
 いるのか教えて。
 けれど不二の言葉も彼にはもう届いてはいないんだろう。
「死にたくない、死にたくないんだよ…助けて、」
 瞳から涙を流しながら、彼はあっさりと。

 あっさりと最期を迎えた。
 


 人間こんなもんでしんでしまうんだな、と不二は半ば拍子抜けした気持ちにもなる。
 失血死だ。
 掴んでいた不二のジーンズから、岳人の血にまみれた手がずるりと落ちた。

(…僕も、跡部に殺されるのかな…)

 他人に殺されるよりは、そのほうがマシかもしれない。
 そう思って、今朝の夢を思い出した。
 何でか、別に岳人の涙を見てもらい泣きをしたのか、死んだ姿に自分の弟を重ねて思い出してしまったのか、跡部がいないのに急に不安を覚えたのか、跡部が人を殺していることを知ってしまって悲しかったのか、それとも、跡部に殺される自分を未来に見たのか、それとも跡部に会えずに誰かに殺される自分を思ったのか、不二自身にもわからなかったけれど。

 けれど。

 不意に頬を涙が伝った。

「…っ、ぅ…」


 青く高く晴れ渡った空の下で、地面に雫がしみこんでいった。


BACK

 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送