□五月四日、二日目



 〇三二〇時



 早く日が昇らないかと時計を見たけれど、まだ三時をいくらか過ぎたところだった。時間の進みの遅さに千石は顔をしかめる。
 手塚を探さなきゃ。

 きっとどこかにいるはずだ。死んではいない。まだ大丈夫。

 そう思ったはいいけれど、手塚がどこにいるかなんて見当もつかないし、この暗闇では幾分探しにくい。ただ、昼間のほうが他の人間とも遭遇する確率が高くなるだろうけれど。
 それでも、手塚を見つけるほうが千石には先決だった。
(…手塚、大丈夫だよ今行くから)
 ああ、でもそういえば手塚って多少アウトドア派だから、どうにかはなってるかな、なんて楽観思考を引っ張り出してみる。結局、心配なのには変わらなかったけれど。

 誰にも会わないようにのろのろと移動していると、森が開けて、目の前に病院が見えた。

 ふと。

 足元に白い紐がピンと張り巡らされたに気付く。
 それは木々の間を縫って何処かへ続いていた。空き缶なんかがくっついているから、きっと引っ掛けたらトラップを作った主に敵の侵入を知らせるような初歩のトラップなんだろう。

(トラップか)

 ということは、病院に誰かいるということか。それともそれ自体がトラップで本当は病院の周りに潜んでいるのか。
 千石には判断がつかなかったけれど、だた、病院には武器になるものがあるはずだ。そう直感的に思った。誰かとぶつかるのを承知であるかもわからない武器を取りに行くか。でも、このまま丸腰で手塚を守れるという確信が千石にはない。
 
 自分に支給された武器は、硫酸だった。しかも小瓶。いちばん最初に出くわしたあの氷帝のデカイ男に吹っ掛けて全部なくなってしまった。とりあえず履いていたスニーカーの紐であのデカイの…樺地だっけ?と千石は思い出して、ああそうか樺地だ。と一人で納得。とりあえず、それを靴紐で絞め殺してきた。硫酸を顔に掛けたから、きっと目が潰れたんだろう。仕留めるのは簡単だった。
(あーコンバースって靴紐ないと歩きにくいかも)
 今さらながら千石は思う。彼を殺したときに使った靴紐は、顔に掛けた時に皮膚に残っていた硫酸で、ただれて使い物にならなくなってしまった。残った靴紐はもちろん一本。
 ただ、硫酸も何もない分、小柄な千石にはあまり使い道がない。
(やっぱ病院かー)
 ぼんやりとその明かりも何も点いていない病院を見る。
 窓ガラスも割れてしまっていて、もう使われなくなってからかなり経つんだろう、年季の入った木造の病院だった。
「…、」
 トラップの紐を跨いで、引っかからないようにそっと進む。と。
 カランカランカランカラン。
 何でか避けたはずのトラップが、空き缶が鳴った。それは高らかに鳴り渡る教会の鐘のようにも思えた。何でかわからないけれど。
(…!)
 ヤバイ。と思ったら、ああ、そういうことか。と千石は納得する。もちろん、納得する暇なんかなかったけれど、一本目のトラップの紐はダミーだったらしく、ちょうど跨いで避けたところにピアノ線が張ってあるのがキラリと光って見えた。
 と。
 ヒュン!
 耳元で風が唸った。
 咄嗟に千石が振り返ろうとすると、右足に刺すような痛み。見ると手術用のメスがふくらはぎに突き刺さっているのが嫌でも見えた。
「…っ、」
 迷うことなくそれを自分の足から引っこ抜くと、千石はメスを右手に持ち直す。激痛が走るのを顔をしかめるだけで堪えて、辺りの闇を窺った。
 動くべきか、否か。
 一瞬の迷いのうちに、闇は動いて姿を成した。

「…千石か」

 阿久津だ。
 ちなみに『…千石か』の前に明らかな舌打ちが聞こえたけれど、それはいつものことなので千石も特に気にはしない。
 ただ、驚いたことに亜久津から殺気が感じられない。
 微塵もだ。

 彼は芝居なんて姑息なマネはしない。
 面と向かってナイフなり拳銃なり、その切っ先を向けてくるだろう。そういう輩だということを千石はよく知っていたし、今でもそれは変わらない。
 けれど、今彼は千石に向けてナイフの切っ先を向けたりはしなかった

「…ねえ、あっくんもしかして、まだ誰も殺してないの?」

 千石は笑ってるんだか驚いてるんだか、そんな妙な表情をみせる。本当は普通に笑っていたいんだろうけれど、その右足の激痛からそれは成されなかった。ただ、少しだけ乾いた笑いがこみ上げる。
「…うるせぇ黙れ」
 ニコリともしない阿久津は、ぶっきら棒にそう言うと、そのまま千石の腕を引っ張って病院のほうへとずるずる引きずっていく。
 万が一として、千石に殺されるという予想はしていないんだろうか。そう、千石自身が疑問に思うほど彼はいつも通りに接してきた。
「…、」
 千石の怪訝そうな視線にも、阿久津はうざったそうなし線を返すだけだ。
 そのまま病院の中に入ると、辺りは外以上にしんと静まり返っている。どこかから水の雫が落ちる音が聞こえるから、もしかしたら裏手に井戸か何かがあるのかもしれない。ここは、電気も水道も通ってはいないから。
「…足出せ」
 ぼやく様に阿久津は言う。
 千石は一瞬何を言っているのかわからずに、思わず聞き返した。
「は?」
 別に、足を出せと言ったその意味は解ったけれど、そうじゃなくて、解らなかったのは阿久津自体。
「テメェの耳は腐ってんのかよ」
 また舌打ち。
 それから乱暴に千石のはいているジーンズの右足を捲り上げた。じんわりと血が滲んでいる布を面倒そうに押しのける。
 細い切り傷は、けれど確かに深かった。もしかしたら骨まで行っているのかもしれないなんて本人は思って、思わず顔をしかめる。
 ラッキーで通してきた今までの人生で、マトモな怪我なんかしたこともなかったし、そもそもメスがふくらはぎをブッ射すなんてきっとコレが最初で最後だろう。いや、この状況なら何があってもおかしくないだろうけれど。
 ああ、もしかしたら、メスが当たった場所がラッキーだったのかな。なんて思う。もしかしたら、動脈を傷つけて一発で血を噴出して死んでいたかもしれない、太い血管に当たらなかっただけラッキーだったかもしれない。神経を傷つけていたら歩けなくなっていたかもしれない。
「…なにそれ。」




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