『不満』



「…跡部ってさ、どうしていっつもいっつもいらないことばっかり言うのかな、いちいち癪に障るっていうか、ムカツクっていうか、大人ぶってりゃいいと思って」

 冷房を惜しげなく効かせた、むしろ寒すぎるファーストフード店の店内で、面白くなさそうに漏らした不二は傍らの菊丸の相槌を受けて溜息を漏らした。彼のどうでもよさそうな相槌が気に食わなかったわけでもなく、ただ、携帯の画面を睨んで無造作に閉じて鞄に投げるように放り込んだ。
 いつものようにささいな跡部景吾の過保護とも言える発言が、ほんの少し不二の心理を逆なでしただけだったのだけれども、それは親の心子知らずだと言われてしまえば、納得できないわけでもないが、それはそれで癪だ。そもそも不二は、跡部の子供なんかじゃない。そういうポジションじゃない。当たり前といえば、当たり前だが、そうでも言わないと否定できないような跡部の保護者ぶりは何も今に始まったことでもなかった。
 でもそれが癪だ。

 という無限ループともとれる思考を、不二は無理やり切断してくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。忘却と言う名の、頭の中のゴミ箱だ。

「そういえば、今度の練習試合、ルドルフとらしいね」
「へー、そいえば、裕太くんは元気なわけ?」
「相変わらずだよ、でもこの間、電話したら出てくれた」
 えへへ、と嬉しそうに笑った不二は、さっきまでの不機嫌さはどこへやら、上機嫌でポテトをつまみながら「彼女が出来たんだって」とさながら自分のことのように自慢げに言った。
「ふーん?本人が言ってたの?」
 随分と兄弟関係が補修されたものだと、半ば感心にも似た気持ちで問い返した菊丸だったが、生憎人生はそこまでトントン拍子という具合にもいかないようで、不二は苦笑を漏らして首を横に振る。
「裕太は教えてくれないから、赤澤くんが教えてくれたんだよ」
「また意外なヤツが」
「寮に電話したら、たまたま裕太がいなくて、赤澤くんが取り次いでくれたんだ。そのときに」
「やるなー、弟」

 あまりに不二が嬉しそうにいうものだから、それが可笑しくて菊丸は笑いながら言ってやった。
 けれどもまたすぐに面白くなさそうな顔に戻った不二。
 怪訝そうな顔をした菊丸に、不二はぼやくように言うのだ。

「それでさー、裕太に『彼女出来たらしいね?』って電話してからかってやろうかな、って跡部に言ったら、アイツ、『ほっといてやれよ、どうせ嫌がられるだけだろ?』だって。そんなのわかってるけど、跡部に言われる筋合いないよね、ほっといてやれって、放っておいたら口きいてくれなくて駄目になるだけじゃないか」
「…あー、うん」
 また振り出しに戻った、と内心頭痛を覚えた菊丸に構うことなく、不二はまた面白くなさそうに唇を尖らせた。跡部の話以外では絶対にこんな顔をすることなんてないのを、本人は自覚しているのかいないのか、そして跡部の話以外ではここまであからさまに不機嫌になることなんてないのを、本人は自覚しているのかいないのか。

 いっそ言ってやろうか、と菊丸が思ったとき、隣の席に他の中学校の制服を着た男子生徒が二人やってきた。テニスバッグを持っているから、きっとテニス部員だろう。どこの中学かまでは分からなかった菊丸は、それをちらりと一瞥しただけで、またすぐに不機嫌そうな不二へと視線を戻す。
 と、隣のテーブルから、否応なしに話し声が聞こえてきた。

「それでよー、あの、なんだっけ、すっげぇ強いやつ、跡部景吾だっけ?」
「ああ、そいつがどうかしたの?」

 耳に馴染みすぎたであろう名前に、不二がぴくりと反応したのが菊丸にも分かった。それでも不二はいつも通りに気にしない素振りを見せて、面白くなさそうな顔のまま、ポテトを不味そうにつまんでる。
 隣の会話を聞くともなしにききながら、菊丸はそんな不二をぼんやりと見ていた。

「この間の大会さー、青学との試合あったじゃん?」
「ああ、アレだろ?全国区レベルの強豪対決」
「そうそう、あれ、青学の手塚が肘故障してるの利用して、セコイ手使って勝ったんだぜ?勝てば何してもいいと思ってんのかね」
「ムカツクよなー、そういうの。オレ一回話したことあるけど、エラそうっつーか、女子に『様』付きで呼ばれてんだぜ?宗教かって話。キモいよな。挙句相手の怪我利用して勝利って、最低じゃねぇ?」

 ああ、不味い。と菊丸英二は直感的に思った。この直感的な嫌な予感と言うのは良く当たる、特に不二に対しては良く当たる。怖いくらいに良く当たる、そしてその予感が現実に変わる前に、菊丸が出来る防衛手段というのはこの世には存在しないに等しいのだ。と、菊丸が思った瞬間にはもう、不二の手が流れるように動いて手品のようにプラスチックの上蓋を取りさり、なみなみとアイスコーヒーの残っている紙コップは隣のテーブルの男子生徒の頭の上でひっくり返されていた。

 こんな場面、映画の中やキスイヤのVTRでしか見たことがない、と頭の隅で冷静に事を眺められた菊丸は、次の瞬間にはそれどころではないということに気がつき、アイスコーヒーを頂いて呆然としている男子生徒へ「事情を知りもしないくせに、いい加減なこと言うもんじゃないよ」と絶対零度の怒りを湛えて吐き捨てた不二の手と鞄を鷲掴みにして脱兎のごとくその場を逃げ出す。
 後ろで文句を言ってる不二に構う暇もなく、荷物と不二を店の外にひっぱり出し裏道へと逃げることに成功した菊丸は、安堵のため息を漏らしながらもどこかぼんやりとしている不二周助を睨んだ。

「不二ってば何やってんだよ、あんなことするの亜久津くらいだろっ!騒ぎになったらどうする気だったんだよ」
「…いや、なんか、すごいね」
「はぁ?」
 要領を得ない不二の言葉。彼はぼんやりと地面を見下ろしていた視線を上げて菊丸を見ると、はは、と乾いた笑を浮かべた。
「怒りに任せて動いたっていうのは、多分人生初体験」
「………あのなぁ」
 呆れて怒る気力も失せた菊丸。
 そんな彼を申し訳なさそうに見上げた不二は、「ごめん」とだけ一言、そうして彼が手に持ったままの自分の荷物を受け取った。
「お前さー、普段温和な分、キレると激情型なのね」
「そうみたいだね」
「だね、じゃないよまったくさー、最初は自分の方が跡部のことムカツクー、とかゆってたくせに」
「僕がけなすのはいいけど、他人にとやかく言われる筋合いないよ」
「…あっそ」
 もう何も言う気もなくなってしまった菊丸は、呆れたように頭を掻いてテニスバックを背負い直すと、駅の方へと歩き始める。
 なぜか着いてこない不二を不思議そうに振り返ると、彼は苦笑いをしてその場に立っていた。
「どーしたんだよ?」
「あのさ、この事、跡部には内緒だよ」
「…ま、購買のコーヒー牛乳一週間分でいいよ」
「仕方ないなぁ」
 苦笑いを浮かべたまま菊丸の隣に並んだ不二は、小さく呟いて何気なしに自分の手のひらを見下ろす。
「コーヒーって結構臭そうだよね、可哀想なことしたかな」
「じゃあそう思う前に止めてやれよな」
「うん、次から気をつける」

 今さらだ、という言葉を飲み込んだ菊丸は、それを言ってやる代わりに不二の頭をぽんぽんと少し乱暴に叩いてやった。案の定不二に睨まれてしまったけれど、跡部の代わりに出来ることといえばこれくらいが関の山だ。
 そういうふうに納得した菊丸は、隣の彼に気が付かれないよう細い息を吐き出す。溜息にも似た吐息だ。

 跡部景吾の気苦労が、ほんの少しだけ分かったような気がした、そんな帰り道だった。
 






END
20050823


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