『羊』



「羊、数えたことある?」

 眠る前に不二が何か会話を求めてくるということが珍しかった跡部は、閉じそうになっていた目蓋を開いて崩れた前髪を掻きあげた。思いのほか程よい眠気が襲ってくるのを追い払いながら体を起こすと、不二はとなりでじっと枕を抱えたまま跡部を見上げていた。

「…羊って、あれか?一匹二匹って」
「そう、いっぴきにひきさんびきよんひきごひきろっぴき」
「ねぇな」
「あれってね、実は数えたほうが目、冴えるんだ。僕はね」
「…へー」
「でも数える以外にすることがなくて、結局は数えるんだけど、数えてくとなんか、すごく途方もない気分になる」

 ベッドのスタンドだけを点けた部屋の中はひどく薄暗く、不二の瞳がちらちらと闇に光る。眠たいのか、何も考えていないのか、どこかぼんやりとした視線を受けながら、跡部は枕を抱えたまま寝転んでいる不二の髪の毛を指の先ですくった。
 少しだけ汗ばんだ頬を、髪がさらさらと落ちていく。
 それを見下ろしていた跡部の視線と、見上げてくる不二の視線が何気なしに絡んだ。
 不二の瞳の中に見えるのは、ただの眠気だけだ。性欲も食欲も、その他一切の何物もふくまれない、ただの眠たそうな目だった。

「小さい頃さ、母さんも仕事が忙しくて、家を空けがちだったんだ。そのときにはもう父さんは仕事で海外飛びまわってたし、姉さんは友達と遊ぶほうが楽しい年頃だったし、裕太は、家に子供だけでいるには小さすぎる歳だったから、おばあちゃんの家に預けられてた。ほんの少しの間だったけどね」

「…」

 不二が何を話したいのか分からなかった跡部は、ただ黙って彼の言葉を聞いていた。
 それが分かっているのか、不二は相槌さえも返ってこないのを気に留めることもなく喋り続ける。

「僕は学校があったから、おばあちゃんの家には行かなかったんだ。家で、いい子でお留守番だった。夜は、ちゃんと一人で眠ってね、でも、羊を数えるのが日課だった。へんな子供だね。数えてからじゃないと安心して眠れないんだ。百匹くらい数えておかないと、後で歯を磨くのを忘れたような気分になる」

「…俺も、」

「ん?」

「俺も、羊じゃねぇけど…小さい頃、家の鍵ちゃんと閉めたかって、確かめたのに、ベッドに入ってから不安になって三回くらい見に行ってたことがある。オヤジが仕事で帰ってくるの遅くて、その間家頼んだぞって言われてたんだよな…それが、プレッシャーだったのかわかんねぇけど」
「えー、なんかそれってアルツハイマーの初期症状みたいだね」
「…うっせえよ、バーカ」
 不二に話したのが間違いだったと、顔をしかめて寝転がった跡部。
 その拗ねたような背中を見つめていた不二は枕を手放して代わりに跡部の背中に顔を寄せてきた。眠たいのが原因か、いつもより面倒そうな仕草の跡部が面白くて、潜めた笑いを漏らしながら、しばらくそうしていた。

「変だなー、子供の頃って、逆に考えすぎたことが多いような気がする」
「…羊とか、鍵とかな」

「今はちっともそんなこと思わないのにね」

「…そーだな、っつーかお前も明日朝練あんだろ、さっさと寝ろよ」

「はいはい」

 ぞんざいな不二の返事が気に食わなく、溜息を漏らした跡部はそのまま静かに目を閉じる。
 背中で、不二がまた可笑しそうに笑いを忍ばせていた。








20050820
END

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