『痴情』


「…何なんだ」

 思い切り顔をしかめた手塚は、口に出してみたところでそれが全て無駄だろうと予測したのだろうか、ただ一言そう言って汗が伝う額をタオルで拭い部室を入ってすぐのところで棒立ちになった。
 というのも青学テニス部表向きナンバーワントラブルメーカーの菊丸と影番的トラブルメーカー不二という手塚にしてみれば何とも不吉な組み合わせが、額をつき合わせて「やっぱこの角度が絶妙?」だの「でもそれはいいとして、あえて目ェつぶらないっつーのも結構ツボじゃね?」と唇が触れるか触れないか数ミリの寸止め状態でキスの真似事をしていたからだ。
 しかし、本人たちはいたって真剣らしく「跡部って常套手段は通じないんじゃね?ってか、あいつは攻略法が不明って感じ」と真顔で討論をするばかり。
「…おい」
 一声呼びかけたところで、ワイシャツのボタンを途中まで留めたままの中途半端な二人組みは自分たちが呼ばれていることも気付かずに、いや、もしかしたなら気付いているのかもしれないが、まったくもって完璧なまでの耳の穴は右から左戦法で完全無欠な無視を決め込んでくれる。
 部活が終わってしまえば、部長と言うのは案外無力なものだ。
 という事実をかみ締めながら、手塚は菊丸と不二のシャツの首根っこを引っつかんで全腕力で引き剥がす。
「…わっ、何するんだよ手塚」
 まるで手塚だけが悪いと言いたげな非難の視線を投げてよこした不二は、首を擦りながらうんざりした顔をして「用なら口で言えよ」と文句を垂れる始末だし、菊丸は菊丸でどうでもよさそうにまた首根をつかまれたそのまま不二へと話題を振るわけだ。
「つーかさー、やっぱ跡部は攻略法なしじゃね?」
「…何かあるはずなんだけどなぁ」
 うーん、と揃って首を捻った二人の間で手塚は溜息を漏らし、そんな惨事を後ろから眺めていた越前が小首を傾げて問い返すのだ。
「何の話っスか」
「おチビ、いい質問だ。それがさー、跡部のヤツちゅーしてからスイッチはいるまで時間かかるっつーか、むしろスイッチ入らないときもあるらしくってさ。何か攻略法ないかと思ってー」
「…ただの不感症じゃなくて?」
 眉をひそめた越前は、ジャージをロッカーに突っ込みながら菊丸を振り返る。と、それには透かさず不二が真顔で答えてくれた。
「まさか。あれで案外、気分が乗ったら手は早いほうだよ。ただその頻度が少ないだけで」
「ふーん」
「…僕がこんなに男前なんだから、こっちに責任はないわけだしなぁ…顔もいいし、そこそこ感度もいいし。ねえ?」
 ねえ?と振り返られた手塚は、どうしてだろう、この部室で自分が孤立無援、むしろ四面楚歌な存在に思えて吐きかけた溜息すらを飲み込んでしまう。ただ邪気のない不二の顔が返答を要求するように視線を投げてよこしていたものだから、飲み込んでしまった溜息をもう一度吐いて言ってやった。事態を収拾できる立場は、自分ひとりだという気持ちもあったのかもしれない。
「…どうでもいいが、さっさと片付けて外に出ろ。鍵閉めるぞ」
「うわ、無視?」
「答える必要性を感じない」
「そういう偏屈な性格、直さないと彼女できないよ?」
「…お前には関係ないだろ」
 再度きっぱりと突っぱねてしまうと不二はあきらめたのか、着替える途中だった学ランの上着に袖を通して菊丸に「ま、いろいろ試してみるよ」と仕方なさそうに肩をすくめて見せる。その肩を叩きながら頑張れだの何だの言いながら部室を出て行った菊丸や、その後を追いかけた越前だとかの面子を見送るように立っていた不二が不意に、窓の戸締りを確認していた手塚を振り返った。
 その顔に張り付いていたのは、さっきとは一変した邪気のある笑顔だった。
 不二と言うのは周りの予想外に粘着質だったり、かと思えば素っ気なかったり無頓着だったり、まったく予測できない行動を取ってくれるものだと三年間の付き合いで知っていた手塚だったが、今回ばかりは粘着質なほうの不二が顔を出しているような気がした。勘だ。ただの勘だ。けれども、その勘は往々にして当たってしまうものなのだ。
 特に、悪いほうの勘は。
「…僕、可愛いだろ?」
 にこ、と花のように微笑を浮かべた不二。
 だから手塚は精一杯のしかめっつらを返してやった。
「男を可愛いと思う趣味はない」
「ふーん」
 と、不満そうに口の中で呟いた不二は、さっきまでの微笑を手早く引っ込めると咄嗟に身長差のある手塚の制服の襟首を、日ごろ部活で鍛えている渾身の力を込めて思い切り引っ張った。その衝撃で前につんのめった手塚の唇を、迷うことなく器用に捕らえる。
 柔らかい唇を合わせて、舌を軽く差し入れて、そうしてとどめに唇の端を齧ってやった。
 あたりまえのことだけれど不二にしてみれば、特に好意やそれに類する感情を持ち合わせてのことでもない。
 男に興味がない手塚への、最上級の、ただの嫌がらせだった。
「…っ!」
 思い切り不二の体を突き飛ばした手塚のあっけに取られた顔を、面白そうに笑いながら不二はひらひらと手を振り回れ右をして部室のドアを押し開ける。青ざめて口元を擦る手塚に言い知れない可笑しさを感じていることは隠そうともせずに声を上げて笑いながら、部室を出る間際に不二は悪びれもない顔をして振り返った。
「僕のこと無視した罰さ」
「…跡部に言うぞ」
「ふぅん?チクるだなんて君らしくない」
「お前につける薬はそれくらいしかないだろ、っ」
 半ば怒鳴るように言って、さっきのことを思い出したのか嫌な顔で口元を覆った手塚。
 それを眺めた不二は「…まあ、それもそうかも」とまったくもって反省の色もない調子で答えると、また、何か面白いおもちゃでも見つけたようににやりと笑って言った。
「ま、言ってもいいけどね。あ、でもどうせ言うなら、ちょっとくらい脚色して言ってやれよ」
 何を言わんとしているのか察することも出来ず、けれどそれが微妙な方向であろうことは予測できた手塚がが、ただの呆れとあきらめを持ち合わせて無言で不二の顔を眺めた。けれど、そうしたところで不二から明確な答えが返ってくるわけでもない。
 仕方なく問い返すしか術がないのだ。
「何」
「痴情のもつれだってさ」
「…。」
「そしたらちょっとは嫉妬して押し倒してくれたりするかもしれないだろ?」

 あっけらかんとした不二の顔が楽しげに部室を出て行く後姿を眺めた手塚は、妙に胃がキリキリ痛むのを感じながら本日何度目か分からなくなった溜息を吐き出した。





END
20050503
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