『添寝』



 何が原因で目が覚めたか跡部にはまったく解らなくて、ただ、偶然に体が起きただけかと時間を確かめるために枕もとの目覚まし時計に寝転んだまま視線を移す。午前三時半。ものすごくと形容するしかない微妙な時間帯だ。
 雨が降っているのか、窓を叩く細かい音が聞こえた。
 何気なくむくりと起き上がり、そしてやっと気が付いた。
 目が覚めた原因。

「…、」

 隣に不二がいなかった。
 トイレにでも起きたのだろうかと、抜け出た後が残っているシーツに手のひらを当ててみたら、もうそこだけ人がいた形跡である温度が残っていない。ベッドから出て大分経つはずだ。
 もう一度目を瞑って眠りに戻りたい気持ちを抑えて、どうにかベッドから降りるとスリッパに足を突っ込む。夜のひんやりとした空気を素足の足首に感じながら跡部は部屋を出た。



「…、」


 ゆっくりと階段を下りていくと、リビングのソファに不二が座ってぼんやりしているのが豆電球の小さな明かりで見て取れた。よく他人の家でこうも奇行に出られるものだと半ば感心したような気分を持ち合わせたままその薄暗い中ソファの上で体育座りをしている背中に声をかける。
「何してんだよ」
 きっとその声が脳みそに届くまでに沢山のロスタイムを生みながらやっとのことで理解したのだろう、と良心的な解釈をした跡部を不二は殆ど数秒後にのろりとした動作で見上げた。
「…うーん、何となく、目が覚めたから」
「…あ、そ。」
 教科書かマニュアル通りの返事だと半ば呆れた気持ちで相槌を打ってみせる。きっと不二は意識してそういうことを言っているわけでもないのだろうし、ましてや意識して跡部を困らせようとして、はいるかもしれないが、この場合はそうじゃないはずだ。
 だからあきらめた跡部は不二のとなりに腰を下ろすと、その体重で沈んだソファに身を埋め、膝を抱えたままの彼を横目で見る。ぼんやりと眠たいのか眠たくないのか良く分からない視線が何も写っていないテレビのブラウン管を眺めていた。ように見える。実際は何も見ていないのだろうが。
「コーヒー…は目ェ覚めちまうか、ココアか何か飲むか?」
「ココア?」
「そう。牛乳に溶かすヤツ」
「ココアじゃなくて、いつものがいい」
 いつもの、というのはどのいつもの、だろうか。跡部はほんの少し考えて、どの『いつも』かを探り当てる。この場合は多分温めた牛乳にハチミツを混ぜた『いつも』のだろう。
「ハチミツ、どんくらい?」
 答え合わせのつもりでそう問うと、不二は真っ暗なブラウン管から視線を外して跡部の顔を見つめた。そうしてしばらく考える素振りをしてから唇を微かに動かす。微かに呟く。
「スプーン一杯」
「ぬるめ?熱め?」
「…その、真ん中くらい」
 ハチミツの量を決めるのよりも、もっと倍くらいの時間をかけてそう答えた不二。その寝ぼけているように見える顔を眺めた跡部が、頷いてソファから立ち上がろうとしたときだった。
 不意に不二は立ち上がりかけた腕を引っ張って「やっぱりいらない」と口早に呟いた。まるでさっき何をしているのかと声をかけ、ハチミツの具合を聞いているときとは別の神経回路があるような素早さだったから跡部は驚いて立ち上がったまま不二の傍らに留まると首を傾げて見せてやる。
「いらねェの?」
「いらない」
「じゃあ何がいいんだよ」
「なんにもいらない」
 今跡部を引き止めたときと同じくらい口早に言うや否や、ソファに座りなおした跡部の腰に腕を回して抱きついてきた不二は、そのまま体勢を崩して跡部の膝に頭を乗せた。珍しく甘えるように頬を摺り寄せた動作に、普通なら淡い感情を抱くところを跡部は内心何かのたちの悪い冗談か何かだろうかと、考えながらも、膝に乗せられた頭を除けられずにそのまま黙って好きなようにさせておく。
 と、不二は寝転んだまま跡部の顔をぼんやりと見上げて「裕太」と呟いた。
「?」
「裕太、寝れないんだって。怖い夢みたらしいんだ」
「…」
「だからお兄ちゃんが一緒に寝てあげるって言って添い寝してあげた」
「…あー、そう」
「裕太が小学校に入るか入らないかくらいのときだったかな」
「ふぅん」
「…そういう夢を見て、目が覚めたら何だか目が冴えて」
「でも明日早く帰んねェと午前中から練習だろ。さっさと寝ろよ」
 ふあ、と欠伸を漏らして不二の頭を膝の上から退けた跡部は、ソファから立ち上がってリビングを出ようとすると、後ろから声が追ってきた。さっきとは打って変わってはっきりとした声。
「跡部は、怖い夢見たりしない?」
「あー…?たまに見ないこともないけど、」
 そこまで怖くもねェよ、と続けようとした言葉を噤んだ。
 そうして後ろを振り返ると、ソファの背もたれに顎を乗せてだらだらしている不二と視線がかち合った。だから苦笑いを漏らして言ってやる。
「そーだな、怖いな」
 どうでもよさそうに言うと、それを察したんだろう不二がもう少し真面目に言えとでも言いたげに唇を尖らせたのだがそれも束の間、すぐに可笑しそうに笑うとソファから立ち上がって跡部の後ろを追いかけてリビングを出た。
「じゃあ怖い夢見ても大丈夫なように、お兄ちゃんが一緒に寝てあげるよ」
 多分遠い過去に言ったんだろうせりふをそのまま反芻するように呟いた不二。
 階段を上りながらその言葉を背中で聞いた跡部は、ただ呆れたように笑う。

「ああ、でも生まれた順は君のほうが上だね」

「…精神年齢もな」

 さっきの『怖いな』と同じくらいどうでもよさそうにぼやいた跡部の背中を、不二は無言で殴ってやった。
 その軽い拳を受けた背中が、からかうように笑ったのを咎める気持ちで睨んだ不二の、いつもどおりの拗ねた顔を思い浮かべた跡部はただ、大きな欠伸を我慢することなく漏らして自分の部屋のドアを押し開けた。





END
20050422

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