口喧嘩




 ジュニア選抜に、不二が新しく入ってきたことにも、怪我が完治した手塚が入ってきたことにも、既存のメンバー達は違和感を感じることもなく、月二回の強化練習に参加していた。もともと実力のある両者が参戦してくるのは誰しもが予測していたことだ。
 ただ、そこに台風の目が出来上がることは、誰も、ごく一部以外は予想できなかったわけで。

「…相変わらずだねェ」

 シャワー室の戸口で呆れたように声を上げたのは、第三者で唯一台風一過が予測できた人物、千石清純だった。彼はその明るい髪の毛を右手でかき上げると、練習後の混雑したシャワー室のベンチに腰を下ろす。
 設備の揃った競技場ならではの、十数個あるシャワーブースが全部埋まっていたのだけれど、彼がぼやいた原因はそこではなくて、ブースの壁越しに聞こえる口論だった。

「大体さあ、関係ないだろそんなこと」
 珍しく少しだけ荒げられた不二の声に、周囲の面々が押し黙ったことを、きっと気付けていない約二名。どうやら隣同士のブースに入っているらしく、巻き込まれたくない他のメンバーは早々とシャワーを終えて外に出てくる。
「お前気にしなさすぎなんだって、アイツ絶対むっつりだっつってんだろ」
「別にむっつりだからって、僕が困ることじゃないよ」
「だーかーらー、お前が気付いてないだけでアイツいっつも見てんだよ。いい加減気付け」
「気付くも何もそんなんじゃないよ。何?僕らが仲いいからって、ヤキモチ焼いてるの?キモイからそういうの、やめてくれない?ウザイってば」
「…お前さぁ、ホントいい加減にしとけば?アイツ絶対そのうちお前に手ェ出してくるぜ」
 隣の声は、間違いなく跡部景吾だ。千石は、当初から選抜チームに一緒に在籍していた跡部とはそこそこ仲がよく選抜内ではそこそこつるむ仲だから声を間違うことはない。
 ただ、彼がいつもは見せないような失態、もとい口げんかなんかをしているのは、きっと不二がなせる業なのだろうと思うと、正直あまり面白くはないのだけれど、相手が不二ならまあ仕方がないかもしれないとも思う。
(…アイツって誰だ?)
 そう、内心思って首をかしげた千石に、答えをくれたのは意図しない不二だった。
「手塚はそんなんじゃないって言ってるだろ?いい加減にしないと怒るからなっ」
 いい加減にする余裕を与える気はさらさらないらしく、ブースの天井付近が開いている壁を、器用にシャンプーのボトルが飛び越えて、ごん、と鈍い音が聞こえてくる。
「…痛ッ!てめェ何すんだよッ、普通に当たったぞ!」
「君が悪いんだろ」
 ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、バン、とブースのドアが開いて不二が出てくる。腰にタオルを巻いただけの格好で、たまたま千石が傍らに置いていたコーヒー牛乳の瓶を手にとって「これ、借りていい?」と笑顔で問いかけてくる。
 さっき千石が全部飲んでしまった空の瓶だ。
 それを吟味するように笑顔で眺めている不二に、断ったらあまりいいことがなさそうだという判断の元「どうぞ」と笑顔で承諾する千石は、跡部を助けるよりも不二に魂を売ってしまったという謝罪を込めて、言葉にしないまま心の中だけで、ごめん、と呟いた。
「…跡部のバーカ!いっぺん死んで来い!」
 ぶん、と景気よく振りかぶった不二が投げたものを、その場に居合わせた数名は見てみぬ振りを決め込んだのだけれど、生憎、ブースの中から「ごぎゃ!」という奇怪な悲鳴と「ごん」という鈍い音が現実をまじまじと見せ付けてくる。
 思わずクリスチャンでも何でもないくせに胸元で十字を切りそうになった千石に「ありがとう」と恐ろしい感謝の言葉を述べた不二は、周囲のギャラリーが恐怖に慄く中、鼻歌を歌いながらシャワー室を出て行った。
「…よくあきないっスね、あの人たち」
 呆れたと言うよりは、興味深げに呟いたのは切原だった。いつの間にかシャワーを終えたらしく、腰にタオルを巻いて千石の隣に座っている。
「…、趣味みたいなモンだからね。定例行事なんだよ、二人の」
 そうとしか説明する言葉を持ち合わせていない千石は、切原を残して立ち上がると、困ったように頭を掻いて、無音のままのシャワーブースのドアを押し開けた。
「跡部、生きてる?」
「…死に、かけた…」
 全裸でうずくまったまま頭を押さえて牛乳瓶を睨みつけている全国区の帝王は、どうにも格好悪く笑いをそそったのだけれど、千石は、不二の『いっぺん死んで来い』がどうにも冗談には聞こえず、ましてや牛乳瓶ならどうにか人を殺せそうだという現実的な想定を持ち合わせて、顔を引きつらせると「…頭打ったなら病院行ったほうがいいよ」とだけ言う。
 静かに閉めたドア越しに、跡部がうめくのが聞こえたけれど、あえてそっと無言のままシャワー室を後にした。

 一緒に出てきた切原に対して、ロッカー室に入る前に「無傷でいるには、二人が口喧嘩を始めたら近寄らないこと。これ、忠告」と声を潜めて千石は教えてやる。呆れと失笑が入り混じった複雑な笑いを浮かべた彼に、切原は首を傾げて言うのだ。
「アレって、口喧嘩の範疇っスかね」
「…そうなんじゃない?あいつら的には」

 漏れたため息が、千石のものなのか他の傍観者のものなのか、判断できるものは誰もいなかった。





20050323
END

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