迂曲




「うーさーぎーおーいしーかーのーやーま〜♪」
 能天気な不二の歌声に、跡部が眉をひそめるのは仕方のない話だ。機嫌のいい不二ほど危険なものもないだろうし、彼が無意識に害を及ぼすあたり、一番たちが悪い。
「…、」
 だから跡部は跡部なりに対処策として彼に話を振るのをやめたのだけれど、あいにく機嫌のいい不二にはそんな手は通用しなかった。
「ねえ、兎美味しいって変な歌だよね」
「…っ」
 がくり、とうな垂れた跡部の気持ちを、きっと不二は一生理解できないだろう。
「兎が美味いんじゃなくて、追いかける方の追いしだろ…っ!授業でやんだろ普通よぉ…」
 力なくホットケーキミックスと牛乳を混ぜ合わせている跡部の横から、不二が卵をひとつ器用に割りいれた。泡だて器で混ぜ続けると、きれいな色の黄身が崩れて生地に馴染んでいく。
 それをぼんやりと眺めながら跡部は「兎、美味しい」と力なく呟いた。

 その滑稽なフレーズを気にすることもなく、不二は温めたフライパンに油を塗ると、濡らしたふきんの上にパンを下ろす。
 じゅ、と音を立てたパンを跡部は不思議そうに眺めると、不二は気づいて「こうしたら、焼き目がきれいに付くんだって」と教えてくれた。
「姉ちゃんとかが教えてくれんの?」
「…箱の裏に書いてある。」
 不二が指差したホットケーキミックスの箱の裏には、たしかに作り方の手順としてそう書いてあった。
「姉さんがホットケーキの焼き方を知ってるわけがないね。あの人、食べ物は母さんが作るかコンビニで買ってくるものだと思い込んでるから。母さんは母さんで僕が焼く前に、奪い取って勝手に焼いてくれるしね」
「…そ。」
 どうコメントをしてよいものか迷って結局無難な相槌を返す跡部。
 と、噂をすればなんとやら、なのか、普段なら外出していることが多い姉が、珍しく家にいたらしくキッチンをひょいと覗き込んできた。
「美味しそうね。パンケーキ?」
「そうだよ」
 振り向きもせずに答えた不二に、彼女はキッチンに入ってきて彼の頬を引っ張ると「私も食べたいな」と穏やかと呼ぶには支障のある笑顔を浮かべる。
 不二は不二でその手を振り払えずに、嫌そうな顔だけをして「いいけど」と答えるのを、跡部は触らぬ神にということで黙って傍観していた。
 けれど、どうも一筋縄ではいかないのは不二一族の特徴らしく、姉は冷蔵庫を開いて呟くのだ。
「あれ?りんごジャム切らしてるの?」
「ああ、昨日使い切ったよ」
「じゃあ周助買ってきて」
「えー」
「ジャムつけて食べたいんだもの」
 姉が当たり前だというような顔をしたのを跡部は我関せず、フライパンを火に掛けて直して適量の生地を流し込む。焼けていくいいにおいを嗅ぎながら、弟が憮然と断れずに「いいよ」と答えるのを聞いていた。
「ああ、じゃあ跡部…」
 一緒に行く?と言いたかったんだろう。と跡部は予測したのだけれど、ここで不測の声にそれが遮られたから確かめる術はない。ただ発せられた彼女の言葉に、嫌な予感が働くのだ。

「跡部くんは焼いてくれてるから、行かなくていいわよね」

 ね、という問いかけがどうも自分のほうに向いているらしく、跡部は内心引きつった笑いを、表向き愛想笑いを返して「…はあ、まあ」と曖昧に答えて見せた。
 跡部はどうも、この姉が苦手だ。もともと不二自体が苦手なタイプなせいもあり、この系統が得意になる日はないだろうと思いながら、まだ話しやすいだろう家にはいない彼らの弟のことを何とはなしに思い出してみる。不二家の中では裕太が一番話しやすかった。
 星座占いなんて微塵も信じていなかったけれど、言われてみれば今日の占いは自分が最下位だったような気がしないでもない。きっと二人で何気なく「小腹空いたね」「そーだな」という意見の元、パンケーキを焼こうとしたのがことの元凶だったのだろうと、跡部は思う。
 それを察知してか知らずか、といえば不二は断然わかっていたのだろうけれど、されど彼も姉に逆らって痛い目をみた過去が山ほどあっただろうから、口を出さずに「じゃあすぐ戻るから」とキッチンを出てパタパタと玄関へと向かう。
 その後姿を恨めしげに眺めて、跡部はキッチンの縁に手を付いてため息をひっそりと我慢した。


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