ピピピピピピピピピピピ。

 いつもどおり、いつもと同じ音で、いつもと同じ時間に鳴り響いた目覚まし時計。
 それをいつもと同じようにベッドの布団から少しだけ手を出して、いつもと同じように叩くように止めた。
 いつもと同じように、布団の中でしばらくじっと目を閉じたまま頑張って眠気を追い払う。
 あまりぱっと起きるのは得意じゃなく、それでも部活の朝練のおかげでそこそこできるようにはなった。ただ、部活を引退した今となってはどうにも退化が目覚しいことだ。
 それでもそこそこ、きちんと起きられる。
 ただ、やっぱり少し踏ん切りはつかない。
 まぶたの裏の暗闇は足りない睡眠を欲しがるし、その一方で窓の外から小鳥のさえずる清々しいとも憎々しいとも言える声が聞こえてくる。
 そしていつもと同じ、とどめはこの一言。

「しゅーすけー、そろそろ起きなさーい。駅まで乗ってくんでしょ?」

 ガン!と鈍い音がしたのは、表向き世間的には温厚で美人で器量よしとされている魔性の女、もとい悲しいかな正真正銘僕と血がつながった姉が足癖悪く、蹴りででドアをノックした音。彼女は僕や裕太の前以外では、恐ろしいくらいの猫かぶりだ。いくら彼女のように表向き温厚と謳われる僕でも、あそこまで完璧にはなれないし、なりたくもない。
 人として、だ。
「…いま起きるよ」

 ようやく眠たがりの僕と折り合いをつけて、ベッドから起き上がった。
 スリッパを履きながら何気なく壁のカレンダーに目をやると。
 ああ、そうか。今日はアレだ。
「………バレンタインか」
 女の子が騒ぐほど興味はないけれど、いわれてみれば街中の空気がそういうそわそわしたものになっていたような気もする。一昨日寄ったコンビニの、ピンクの店内ディスプレイが脳裏を掠めた。





*044:バレンタイン





「おっはよーん」
 上機嫌な英二が、下駄箱から上靴を出して履き替えていた僕を見つけて声をかけてきた。ひどく上機嫌、えらく高テンション。もっとも、彼は朝が強いから僕のように頑張らないと朝起きられないということもない。だからテンションが高かろうとも特に疑問もなかったのだけれど、それを差し引いたって英二は目に見えて上機嫌だった。
「おはよ。ヤケに元気だな」
「そりゃ、バレンタインだしね」
 へへ、と笑って英二は可愛らしい小さな紙袋に入って、可愛らしいし、綺麗さに脱帽するようなラッピングが施された小さな箱を僕に見せてくれる。それから、こっちもそこそこ可愛らしいラッピングの箱が二つ。
「朝から三個ゲットォ」
 ああそうか。
 彼の上機嫌の理由に納得して僕は笑った。特別親しい間柄の人間にしか見せてやらない、僕としては最上級の嫌な笑い方。細く、馬鹿にしたような笑み。
「ま、僕は五個だけどね」
「うっそ」
「ホント」
 言いながら、今しがた下駄箱から回収したばかりのチョコだと思われる包みを五つ、彼の前に晒してやる。
 期待通りに英二がくやしそうな顔をしてくれたから、僕は、さっきの細い笑みとはまったく正反対の、面白くてたまらないような笑いを返した。
 はは、と珍しく声を上げて笑う僕。
 
 英二のことをどうこう言えない。
 僕もそこそこ上機嫌だ。人に好かれることが嫌いな人間は、そうそういないよ。

「乾の予想が当たるのって、いつものことだけど癪だ」
 憮然とつぶやいたのは英二。
「なにそれ」

「昨日の帰りにさぁ、不二は先帰ったから知らないだろうけど。乾が言ったんだ、『今年のテニス部予想は手塚と不二がトップ争いで僅差、手塚の勝ち。菊丸は三位が無難だな』」
 ご丁寧に乾のモノマネをしてくれた英二は、面白くなさそうに「しっつれいだよな」と唇を尖らせた。
「でも、僕らの場合って大体、試合に来てくれる…ファン、ていうのも変だけど、そういう感じの子からだろ?『頑張ってください』って感じのとか、義理とか、さ」
「…まあ…否定はしないけど」
「数だけでいうなら、乾の言うとおりかもしれないけどね。本命の数は…そうだなぁ」
 
 意味深に笑ってやると、案の定英二はそのでっかい両目をきらきらさせて「誰?誰?」と僕の顔を覗き込んでくる。
「…大石とタカさんでトップ争いだな」
「えー?意外」
「英二、それすごい失礼。でもそうだろ?大石とかタカさんはさ、リアルに本命を一個とか二個とか、もらうタイプだよ」
 
 そんなことを言いながら教室に入ると、クラスでわりと仲のよい女の子たちが教室の後ろの方にたむろしていた。
 彼女たちは口々に僕らに向かって「ハッピーバレンタイン」と冗談めいた口調で声をかけてくれて、そうしてありがたい義理チョコをくれる。うん、知ってるよ、君たちって料理がうまいからこの手作りだと思うチョコもそこそこ期待していい味だってさ。特に口には出して言わずに、そう思いながら礼を言ってチョコを受け取った。
 内心、ホワイトデーのお返しにいくら割けば足りるんだろうとぼんやり勘定しながら、僕は使い慣れた自分の机にかばんを下ろす。
「不二、今日桃たちが帰りにカラオケ行こうって」
 多分メールがきたんだろう、英二は僕の二つ前の席から携帯電話をいじりながらやってきて「行くだろ?」と、最近愛らしいからカッコいいという形容詞が似合うようになってきた顔を微かにかしげた。
「ごめん、今日は先約あり」
「…あぁ、跡部?」
 とすぐに思い当たったらしい英二は、僕がうなずいてもいないのに「バレンタインは女の子のイベントだぞー、野郎同士でいちゃつく日じゃないんだからなー」と拗ねたように、桃に返信をしているらしい携帯電話で僕の腕をとんとん、と軽く突付く。
「いちゃつかないって」
 そう呆れ顔で返してやったのだけれど、生憎英二は聞いちゃいないようで「つか、不二机の中見た?」と勝手に僕の机の中を覗き込むものだから、僕はその襟首をつかんで「何が」と呆れ顔を続けて問いかけた。
 そうしたら、英二はさも当然というように真顔で答えてくれた。

「だから、チョコ。入ってるかもだろ?」

 今日という日において、英二の中ではこのイベントはかなりのウエイトをしめているらしい。
 だから僕は苦笑いを返す。
「まだ見てないよ」
 そう言って、彼の襟首をつかんでいた手を離してやった。


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