「…わー、すごいな」

 吹きぬけた春風に髪の毛を押さえながら、不二はどちらかと言うと、驚いたような顔をした。
 あたり一面の黄色の花。

 風に揺れてなびく、遠目に派絨毯みたいなそれは、紛れもなく菜の花だった。


 夕暮れ時、偶然に、通りかかった住宅街の公園にて。





028:菜の花






「なんつーの、これ」

 跡部は特に興味もなさそうに、黄色の上にしゃがみ込んでその花を指差した。
「何って、菜の花に決まってるじゃないか」
 拍子抜けしたような顔をした不二を仰ぎ見て、跡部は納得いったような顔をしてみせる。
「…あー、コレが菜の花なのか」
「知らなかったの?」
「あれだろ?油採るヤツ」
「…油って…雰囲気ないなぁ」
 しかめっ面をした不二に、跡部は「知るかよ」と小さく呟くと風が抜けて、さっきコンビニに寄って買ってきた雑誌の入ったビニール袋がカサリと音を立てた。
 風に合わせてあたり一面を埋めている黄色が動く。
 今にも沈みきってしまう夕日に照らされたそれは、黄金色にも見えた。

「幻想的」

 言って不二は可笑しそうに笑う。
 あたりには人影もなくて、跡部と不二と、二人だけだった。
 二人で遊びに行った帰り、面倒だからと、これから跡部の家に行く途中。
 偶然に見つけたその光景を、不二は面白そうにに眺めていた。
「…、」
 跡部は「カメラ持ってくればよかったなー」と呟く不二に、適当に相槌を打ちながら何気なく空を仰ぐ。
 春の強い風に押されるように、棚引いている雲が夜の色に染まっていた。
 それから、ふと。

「あれみてェだな」
「何?」
「与謝蕪村」
「…?」
「違ったか?」
「何が」

「『菜の花や、月は東に日は西に』」

 呟いた跡部に、不二は弾かれるように空を見上げた。
 それから今日一日でいちばんの良い物、宝物を見つけたような笑顔を浮かべて「そうだね、蕪村の歌だ」と言う。
「君ってば、蕪村なんかよく知ってたね」
「つーか…有名どころだろ、バカにしてんのか」
「だって、そういうの、興味なさそう」

「この間テストで出た」
「…ああ、そういうことか」
「…どういうことだよ」

「別に」
 はは、と不二は笑ってまた空を仰ぎ見たまま、呟くのだ。
「…本当に、カメラ持って来ればよかったなぁ。惜しいことした」

 上を見上げたまま不二はそう漏らした。
 その顔を盗み見た跡部は、きっと不二が、口ではそう言うものの、実際は写真なんて割とどうでもいいと思っていることを知る。
 嬉しそうに笑いながら上を見上げている不二は、多分写真なんかどうでもよくて、今目の前にある景色があれば、きっとそれで満足で、それを心の中に残しておくこともできて、だから、きっと写真はいらない。

 薄い夜の色、空の端にはかすかに残った夕日。赤い空。
 その反対の端に、ぼんやりと青白い丸い月が見える。紺の空に浮かぶ薄い月だった。
 周りには、人影もなくて、音もなくて。
 時間が流れているのかもよくわからなくなるような、そういう錯覚。

「首痛ェ。」

 飽きることなく菜の花と空を眺めていた不二は、そうぼやいて首を振った跡部を振り返ると「帰ろうか」と笑った。
「…晩飯何?」

「オムレツ」
 不二はそう言ってにこ、と笑う。
 けれど跡部はしかめっ面をして呟くのだ。
「またかよ」

「だって、美味しく作れるの、それしかないし。英二直伝だよ」

 珍しくけらけらと声を立てて笑った不二。
 さっさと歩き出した跡部の背中をぼんやり眺めて、もう一度後ろを振り返る。
 菜の花を一瞥して不二は、一歩先を歩いている跡部の背中を追いかけた。

 もうすぐ日が沈む。




 END
 20040526

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