『何してた?』

 着信を取った第一声がそれで、跡部は少しだけ呆れたように頭を掻いて「寝てた」とだけ返した。
 夜中の、溶けて消えてしまうような微妙な時間。
 ただ静か過ぎる部屋の中から耳をすませば聞こえてくるのは、時計の針の音と、それから微かに車のエンジン音。
 
「お前は何してたワケ?」

『今、飛行機着いたところ。』

「あ、そ。…つーか、今日だっけか?来るっつってたの」

『うん。ていうか、跡部留守電全然聞いてないでしょ。昨日連絡入れたのにさ』

「…悪りィ」
 呟いて、ああ、きっと悪いと思っていないのが不二にはバレているなと内心思う。
 けれどそれがあまり重要なことではないのに気付いて、考えるのをやめた。
「迎えいるか?」

『ううん、タクシー拾うから大丈夫だよ』
 不二の声越しに、国際便のアナウンスが聞こえていた。

「506号室な」

『分かってるよ』
 笑いを含んだ声が返ってきて、『じゃあ、また後で』という適当な挨拶を交わした後に、電話を切った。





*026:The World





 高校を出ると同時に国外に飛んだのは不二。
 肩を故障して国内に残ったのは跡部。
 結果、不二は世界的な選手に成り上がり、跡部は一介のインストラクターに成り下った。

 ただそれだけの話。
 二人にしてみれば、太陽の寿命と同じくらい、どうでもいい話だ。

 ずっとメールだけの連絡だった間柄。
 跡部のところに『もうすぐ会いに行くよ』と短いメールが入ったのが、一週間前。
 電話でたたき起こされたのがさっき。

 不二が気まぐれな理由なんて、跡部にはいつもさっぱり分からないわけで。




 インターホンに再度たたき起こされて、玄関のドアを開けたそこに立っていたのは、最後に実物を見たのがいつだったか分からないくらいずっと会っていなかった知人だった。
 彼はニコリと張り付いたような笑みを浮かべて言う。

「…ごめん、こっちが夜中なのすっかり忘れてた。」

 右手を軽く上げて詫びるような仕草を見せた不二は、きっと悪いだなんて微塵も思ってはいないんだろう。
 跡部はそれを承知で「別に」とだけ返した。

 まだ日も昇る前に跡部の住むアパートに転がり込んできた不二は、玄関に出た跡部にスーツケースを渡すと、眠そうに欠伸をして、着ていた服を面倒そうに脱ぎ散らかすと、そのまま跡部のベッドに潜り込んでいった。
 跡部は不二の荷物をクローゼットに突っ込んで欠伸を漏らす。
 不二の昔からの、服をベッドの周りにどうでもよさそうに脱ぎ散らかすクセは今もまだ治ってはいなくて、だから跡部は失笑を漏らしたまま、不二の抜け殻を拾ってそれをハンガーに掛けてクローゼットに突っ込んだ。
 会話のない部屋に聞こえるのは、チクタクチクタク針の音。
 まるでフック船長の腕を食べてしまったワニのような音だと跡部は思いながら、枕を抱えて目を瞑っている不二の隣に潜り込む。
 と。
 不意に不二が目を開けて、言葉を転がした。
「あのさ、あのさ」
「…何。」
「機内食はね、鶏肉のバター焼きと、それから野菜の付けあわせだったんだ。変な味のプディングが付いてた。後は何があったか忘れた」
「…へえ。」
 結局何を言いたかったのか跡部は理解できなくて、ただ相槌を打つと、不二はまた喋り始める。

「隣の席の女の子がさ、お父さんが日本人でこれから会いに行くんだって言ってた。お母さんが死んじゃったんだって。悲しいね。それから、日本向けの機内誌読んでたら、僕が向こうで見逃した映画がね、日本で明日封切なんだよね。日本の方が上映遅いんだ。だからさ、明日一緒に見にいけたらいいなって思った。それから、ああ、この間のトーナメント見てくれた?多分衛星とCSとかじゃないとやってなかったとは思うんだけど」
「見てた」
「僕の対戦相手がね、すごくいい人だったんだ。日本語は下手だったんだけど、僕が欲しくてずっとさがしてたレコード持っててね、知り合いが在庫持ち合わせてるからって、一枚譲ってくれたんだ。すごくいい曲なんだよ。それから、向こうにいる間に犬を飼ったんだ。栗毛のチワワ。ちょっと跡部に似てる。名前はポチ。悪趣味な名前だって英二に言われたけど、いいんだ。すごく可愛がってるし。今はアパートの管理人さんがいない間世話してくれるって言うから、預けてきた。管理人さん、すごくいい人なんだよ。向こうの人っていい人が多いんだ。シーナさんっていってね、四十かそこらなんだけど、もっとすごく若く見えるんだ。きれいな人。結婚はしてないんだ。勿体無いよね。」
「…。」
 マシンガンみたいに一気に喋り続ける不二に、跡部は相槌を挟む暇さえもらえずに、ただ話を黙々と聞いていた。
 いや、聞かざるを得ない。
「ワンルームのアパートなんだけど、すごく良い造りなんだ。今度おいでよ。ロフトがあるんだ。屋根裏みたいでワクワクする。近くには市場があってさ、月曜日には朝市をやるんだ。魚がすごく美味しい。もちろん、野菜もだけど。公園もあるんだよ、ちゃんとテニスコートもあるんだ。たまに遊びで打つんだけど、そこにいっつも通ってくる小学生がいてさ、何か、ちょっと越前に似てるんだよね。可愛げがないところがさ。で、たまに相手してあげるんだけど。あとは…」

「…いや、分かったから少しストップ。」

「何?」


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