不二は、スターバックスの二人掛けの席に座って、キャラメルマキアートのアイスを飲んでいた。
 緑色のストロー。
 これのせいできっとスタバと言われれば思い出す色が緑になってしまっているのだろうと考えたところで、目の前の少年が口を開いた。見知らぬ少年だった。どうしてここにいるのか自分でもよく分からない。
 ただ、彼は言った。
 そう、話の続きだ。さっきまで話していた続き。

「で、お前その日は学校から帰るのに歩きだったんだろ?他に何か覚えてるか?」

「…その日」
 その日といわれて、不二は口の中で小さくそう呟いてみる。

 その日は、秋だというのに暑い日で手の平が薄っすらと汗ばんでさえいたような気がする。
 気がする、というのは不二の勝手な思い出しで、もしかすればそれは気のせいで、ただ暑さがなせる錯覚だったのかもしれない。
 ひどく曖昧だった。
 別に手の平に汗を掻いていたことなんてどうでもいいことだったし、そもそもそんなことが言いたいのではなかった。
「…MD」
 そう、MDだ。
 不二はそう思いついて顔を上げた。
 その暑い日に、MDを聞きながら歩いていた。いつものようにポケットにリモコンを入れて、カバンにウォークマンを入れて。
 頭の中に流れていた旋律を思い出す。
 ポルノグラフィティだ。
「MDを聴いてた」

「どんなMD?」

 問われて、はてと首をかしげる。そうすることで目の前の相手も一緒に考えてくれるのではと思ったのだったけれど、生憎彼はそこまで親切ではないようだった。もしかすれば、彼はそのMDのことなんてどうでもいいのかもしれない。
 ただの黒というのには少し明るい色をした瞳が、ちらりと不二の顔を覗きこむ。
「ええと…ポルノグラフィティのベストが入ってる。あの、ブルーの方。二枚出ただろ?その、ブルーの方だよ」
「違う違う」
 咄嗟に彼は右手を軽く振ってそう言った。「中身は知ってるんだ」とも言った。
 じゃあ聞く必要なんかないじゃないか。と、怪訝そうな顔をしてみせた不二に、彼はもう一度言う、「違くて」と。その言い回しに能天気なクラスメイトの顔が浮かんだ。菊丸英二だ。彼の喋り方はどちらかと言うと大人たちが顔をしかめるような言葉遣い。そういう種類の言葉を巧みに使う。それを思い出した。
「そうじゃない、中身じゃなくて。ハードの方だ」
 ハード、と口の中で小さく呟いた不二に対して、彼は補足するように付け足してくれる。
「どんな色だとか、そういうこと」

「ああ…、黒いのだよ。ソニーから出てる、いちばんよく見かけるタイプのカラーMD。それのブラック」

「お前持ってるMDってほとんどそれじゃねぇかよ」
 どこか落胆したような顔をしたのは目の前の少年だった。泣きボクロがある、整った顔立ちの。
「そうだね…よく知ってるな。何で?」

 ていうか、という言い回しは英二のよく使う言葉だったのだけれど、不二もそれを無意識に使って呟いてみた。
 そう、MDなんかの話よりもっと気になることがあった。

「ていうか、君、誰?」





*022:MD





 目の前の少年は、名前を跡部景吾というらしく、さらに事細かに今、不二が記憶喪失で自分に関する記憶だけをすっぽり落としてしまっていることを説明してくれた。そんな、不二にしてみれば家族の事だって分かるし、クラスメイトだって、部活の仲間だって認識できるし、全部のことを認識しているし、そもそも記憶がないと言われること自体が突拍子もなかったのに、目の前の彼に言われると何でか頷けてしまった。
 そういう気分になった。
 いつ目の前の彼のことを知らなくなってしまったのか、それもよくわからないのに、納得してしまった。
 
 彼が言うのならそうなのだろうと、なぜか思った。

 そうして彼は言う。

 不二が記憶をなくしてしまう直前に聴いていたはずのMDを聴かせれば、もしかすれば記憶か戻るのじゃないかと。
 同じような状況で、まったく同じMDを、同じように聴かせるのだと。
 医者がそう言ったのだか、彼が勝手にそう考えたのか不二は分からなかったけれど、これもやはり彼に言われて納得してしまった。
 
 ああ、そうなのかな。と。

「…どこにいくの」

 右手を引かれて歩きながら、不二は問う。
 いつの間にかスターバックスの店内を出て、街の中を歩いていた。駅前の交差点を通り過ぎる。

「お前んち。MD探すんだ」

 不二の右手をつかんだまま半歩前を歩く彼はそう言った。
 ふと、不二は内心、彼が何と言う名前だったか記憶の糸を手繰り寄せる。さっきスタバで言ったはずなのに、もう忘れかけていた。誰だったのだろう。
 もう一度聞くのは失礼なようなきがしたけれども、知らないよりはマシかと思ってもう一度尋ねた。聞くのは一時の恥、知らぬは一生の恥だ。そう言ったのは確か二年前に他界した祖父だ。

「ねえ」


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