「ばっかじゃねェの?」

 真顔で言った英二は、きっと自分の考えや言葉や行動や、存在や色んな色んな全部のことが正しいと信じてやまない、そう言いたそうだった。いや、言いたそう、というのは的確じゃなく、そう言っていた。その顔が。態度が。
 自分以外の全ては間違ってる。

 特に僕の言ってることはいちばん。


 英二の真顔はそう言っていた。





*009:かみなり  






「馬鹿じゃないさ」

 だから僕も真顔で答えた。
 睨むように見つめた英二の顔は、今までにないくらい不快感とかそういうあまりよくないもので歪んでいて、だから僕はつい口から漏れそうになるため息を、堪えるように肺の中に押しとどめてみる。

 夕方の薄暗い部室の隅に置いてあるベンチを、英二はおもむろに蹴っ飛ばす。
 ガンッ、とプラスチック製の軽いベンチは少しばかり情けない音を立てながら、それでも他の部員の視線を集めるのには十分で、だから僕はため息を我慢する。
 ベンチの周りに溜まっていた灰色の綿ぼこりが舞い上がったのを横目で見ながら僕は、ああ、そろそろ部室も掃除しないと、と全然、まったくもって今現在考えるべきじゃないことをぼんやりと考えてしまうわけだけれど、こればっかりはどうしようもない。
 癖みたいなもので、場の空気が真剣であれば真剣なほど、硬ければ硬いほど、冷たければ冷たいほど、そういうどうでもいいことばかり考える。
 でもそれを他人に漏らしたことはないから、僕しか知らない。
 
「不二が馬鹿じゃなかったら他に誰が馬鹿なんだっつーの」

「…、」

 駄目だ。
 やっぱり押し込めていたため息が肺から漏れる。
 別に英二を軽蔑しているとかそういう意味のため息じゃないんだよ。
 ただ少し、君のその単純明快思考回路を、そろそろ年相応に発達させてやっても良いんじゃないかって、そう思うだけなんだ。
 ああ…でもそれって少しは軽蔑なのかな。
 いや、やっぱり違う。

「英二、少し頭…冷やしておいで」

 何かをあきらめた僕はそう一言ため息混じりに告げると、英二に背中を向けて…というより背後のロッカーに向き直って、汗ばんだままのTシャツを脱ぎ捨てる。
 べたべたして気持ちが悪い。というのも今日は夜から雨が降るらしく湿度が異常に高い。
 ああ、傘持ってくるの忘れた。
 やっぱりどうでもいいことばっかり考えてる自分が、何だか間抜けだと。
 僕がそう思うか思わないかの瀬戸際で、不意に右肩を思い切りつかまれた。
「ッ、!」
 つかまれたついでに右頬を衝撃が襲ったのを痛みと重力みたいなのを感じながら、ああ、今日は随分機嫌が悪いんだな。と僕は思う。英二の拳は確かに僕の頬を殴り飛ばしていた。
 英二がキレるのはいつものことだけれど、殴られるとは思わなかっ…たわけじゃない。わけじゃないけど、僕を殴って英二の頭が少し冷えればいいな、と思う程度に僕は自虐的だ。いや、違う、貢献的って言っておこう。

「…、」

 口の中の血の味を、一瞬吐き出してしまいたい気持ちになったけれど、生憎僕は部室のコンクリートの床に唾を吐くほど馬鹿でもなかったから、苦い味をそのまま飲み込んでみる。気持ちが悪い。飲み込んでから、今更この汚い部室の床を汚した所でなんら問題はなかったんじゃないかとも思ったけれど、本当に今更だったから考えるのを止めてみる。
 唇の端に滲んだ血を手の甲で拭おうとしたら、隣で事を傍観していた越前が僕にポケットティッシュを放ってきた。
 武富士の街頭配布用ティッシュ。
 紙が硬くてあんまり好きじゃないんだよね、と言うわけにもいかないから、右手を軽く上げて感謝の意を表してからそれで口を拭った。きれいな赤が真っ白いティッシュに染み込む。
 思っていたよりも出血していて。

「頭冷やせ、バーカ」

 僕は僕らしくない言葉を投げやり気味に英二に投げつけると、彼はきゅっと唇の端を噛んで、一緒に何か言うべき言葉も噛み砕いてしまったんだろうか無言のまま部室を飛び出していった。
 僕はといえば制服のシャツを羽織って、やっぱり投げやり気味に身支度を整えて、テニスバッグを肩から提げて、素っ気なく「おつかれ」と言うと突っ立ったままの大石の前を通り過ぎて外に出た。

 もう英二の姿は見えない。

 部室の前で立ち止まったままぼんやりと薄暗い雨が降りそうな空を見上げて、もう一度ため息を吐いてみると重たい二酸化炭素はグラウンドの地面に吸い込まれて消えていった。

「…痛って、」

 顔をしかめて、今度は血が混ざった唾をグラウンドの砂地に吐き捨てる。
 
 と、不意に「うわー、珍しいモン見ちゃった」とどこか、気のせいじゃなければ心なしか嬉しそうな声が背中の方から聞こえて、だから僕は背後を振り返った。


→2


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送