*007:毀れた弓1 〜君に降る雪。Other side〜
「…、」
跡部が何気なく汚れて曇った窓ガラスの外を見ると、ほの暗い空と正反対のような真っ白い雪が降っているのが見えた。
音もなく落ちてくるそれ。
近くの工場のボイラーの音が低く響いているだけで、辺りは静かだ。
けれど静かなのは今日に限ったことではなくて、年がら年中、いつだって静かだ。このあたりは。
静か過ぎて、たまに頭の中から音が聞こえる。
いや、聞こえる気がする。
耳鳴りとも何ともつかない、自分の中の音。
「初雪やなぁ」
所長のデスクで珍しく書類の整理をしていた忍足が何気なく呟いたのを聞きながら、跡部は冷めかけたコーヒーを一口飲んで、昼飯にと駅前のパン屋から買ってきたサンドイッチを齧った。
アップルパイも買おうとしたけれど、何気なくやめた。
きっとあの頃と変わらない味なんだろうと、ぼんやりと思いながら萎びたキュウリをパンの間から器用に抜き取ってゴミ箱に放り投げる。サンドイッチの萎びたキュウリが嫌いだと言ったら、いつだったか千石が可笑しそうに笑った。何がそんなに可笑しかったのか、未だに聞いていない。
あれからもう三回目の冬になるけれど、千石の消息は跡部の耳には届いていない。
あれからもう三回目の初雪が降ったけれど、相変わらず跡部は忍足の元で働いている。
他に当てがなかったわけでもない。
けれど、なぜかここにいる。
あれからもう、三回目の冬になった。
初雪も降ってしまった。
もうすぐ、三回忌だ。
窓の外からデスクの上の書類に視線を落としたところで、不意に事務所のドアが開いて男が一人入ってきた。
寒そうにマフラーを口元まで巻いて、頬を赤くして手を擦り合わせて。
黒髪の短髪。高くもなく小さくもない背丈の、細身の男。
「お疲れさん」
「…ん、お疲れ」
最後の一切れのサンドイッチを口に放り込むと、跡部はイスから立ち上がった。
勤務交代の時間だ。忍足の「俺もはよ帰りたいわ」なんていう呟きを聞き流しながら跡部はさっき届いたばかりの書類を、入ってきた男…宍戸のデスクに放り投げる。
「それ、目ェとおしてサインしとけな。あと、明日朝一で入ってくる新しいヤツの報告書、一応読んどけ」
「はいはい」
宍戸はコートをソファに放り投げると、さっさとデスクに着いて書類に目を通し始める。
短い黒髪が湿っているのは、きっと初雪に降られたせいだろう。
「外、寒いか?」
「結構。でも、まぁ、まだマシな方じゃねぇの?」
「あ、そ」
宍戸の返答に適当な相槌を打って、跡部はコートに袖を通しながら何気なく書類にサインをしていく彼を見た。
鳳の代打で入った彼は、もう三年目ということもあってすっかり馴染んでいる。
何があって自分がここに回されて来たのかは知らないはずだったけれど、自分なりに解釈してしまっているのだろう。跡部がことの経緯を聞かれたことはなかった。もしくは、忍足が何か適当に吹聴したのだろうか。
鳳のことは、忍足が有耶無耶に揉み消してしまった。
いっそ刑務所にでも入れられた方が楽だったような気もしたけれど、生憎、忍足は跡部に対してそこまで親切ではなかったようだ。
罪の意識も特に芽生えないまま、三年が過ぎようとしている。
「じゃ、お疲れ」
一言言い残して、跡部は外へと出た。
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